牧師・大頭の「焚き火」日記

  • 牧師・大頭の「焚き火」日記
 人に出会い、話を聞き、聖書を知り、祝福を祈る、ただそれだけにとても奥が深い。日本が知らない聖職者の日常。

篆刻の達人、旧車オタク、ロックアーティストとの出会い、神学談義、地域の地鎮祭と牧師の祈り、結婚式で大ミス、教会で般若心経を読む会、イタズラメールとの戦い、バイクと事故と入院、ご近所さんとのカラオケ、特殊詐欺事件、イギリス留学……。ゆるゆると流されているようで、何かに導かれるような、ひとりの男の物語。


教会にいると牧師の言葉は説教壇や祈祷会のテーブルの上からは聴くものの、何気ないつぶやきやボーッとしている時のひと言が聞こえてくることは案外珍しいかもしれない。

 本書は文字通り「焚き火」を囲むような和らいだ空気の中、一人の牧師が街に出て福音に生きていく光景やその中で起こったエピソードを「実はさ……」と時には悩みながら、時には嬉しそうな表情を浮かべながら語ってくれている1冊である。

 ここではさまざまな人が登場する。篆刻(ハンコを彫る職人)、旧車オタク、ロックアーティスト……。そしてそれぞれの人との関わりの中で著者は話を聞き、聖書を語り、祝福を祈る。「なるほど!」とパッと顔を上げる人もいれば、「うーん」と下を向く人もいる。しかしここで大切なのは、その人が教会に行くとか信仰を持つこと以上に、語り合うその真ん中にこそイエスがいて、ともにうなずき、ともに励ましてくれていることだ。

 これは福音宣教において重要な視座である。イエスは大勢の人に説教をすると同時に一人ひとりとの交わりを大切にしたし、小さく見えるその空間にこそ神の国の広がりを感じていた。著者もそのように一人ひとりと向き合っているし、その人たちが漏らす一つひとつの言葉を大切に汲み取っていた。

 本書のもう一つの特徴は、何気なくつぶやく著者の言葉にもある。例えば自身がバイクに乗ることについて、読者に「主イエスがバイクに乗るかって? そういう神学的な質問は僕にはしないでほしい」と言う。こんな自然体な牧師の言葉は、教会にいると聞けないかもしれない。しかしここは礼拝堂や祈祷室ではなく、「焚き火」を囲んで耳を澄ます空間。ぜひ読者もリラックスしながら手に取り、一つのページ、一つの言葉を味わってほしい。

出版:キリスト新聞社
著者:大頭眞一

2024年3月
判型: 四六
ページ数: 168

牧師・大頭の「焚き火」日記

1,320円(本体1,200円、税120円)

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